甲州街道(5)
甲州街道歩きの4回目で、JR鳥沢駅からスタート。鳥沢駅は下鳥沢宿と上鳥沢宿の間にあるが、この2つの宿場は1kmしか離れていないため、感覚的にはつながっているような感じがする。上鳥沢宿側には古い建物がいくつか残っており、下の写真は明治の中頃に建てられた旅籠跡。
上鳥沢宿から少し歩くと猿橋を通る。猿橋は「錦帯橋」、「木曽の桟」と共に日本三奇橋の一つと呼ばれているものであり、この橋は通ることはできないかと思っていたが、人は自由に通ることができた。この下を流れる川は狭いものであるが、高さは30mと谷が深い。このため橋脚はなく、両側から刎木(はねぎ)と呼ばれる四重の支えで支えている。
猿橋宿は、この猿橋から少し離れたところにある。猿橋宿からは1.5kmほどで駒橋宿、さらに1kmで大月宿、1.8kmで下花咲宿、0.6kmで上花咲宿と、短い距離の間にいくつもの宿場が並んでいる。このように短い間隔で小さな宿場がつながっているのは、他の街道では見られなかったものである。
このため隣り合う宿場で、問屋業務のような一つの機能を担う合宿(あいじゅく)として分担していたようだ。ここので下花咲宿と上花咲宿のように二つの宿場で分担しているだけでなく、すでに通った布田五宿(国領宿、下布田宿、上布田宿、下石原宿、上石原宿)のように五つの宿場で構成されているものもある。甲州街道を参勤交代で通る大名は信濃高遠藩、高島藩、飯田藩の三藩だけで、時々は尾張藩も利用した程度のほかも旅人も少なく大きな宿場は維持できなかったのであろう。
下の写真は下花咲宿の本陣。まだ実際に生活されている方がいるようで、内部の見学はできなかった。
上花咲宿からJR中央線に沿ってあるくようになるが、日陰となっているところには数日前に降った雪が残り、道路一面が凍っているところもあり、。これから歩くときは、その日の天候だけでなく、何日か前に雪が降っていなかったかどうかも注意しなければならないと感じた。
下初狩宿の真ん中を国道20号線が通っているが、古い家並や本陣も残っている。本陣の前には「山本周五郎生誕の地」の石碑があり、この本陣かと思ったがそうではなく、この近くで生まれただけのようである。
下初狩宿 を出るとすぐに中初狩宿となるが、ここにも本陣が残されている。
下初狩宿からは国道20号線を歩くこととなるが、歩道もないところが多く大型車両が頻繁に通るため、危険を感じる。大型車の優しい(?)運転手は徐行して通ってくれるが、ほとんどはスピードを落とさずに通り抜けていく。
このあと白野宿、阿弥陀海道宿を通るが、ほとんど宿場の雰囲気は感じられない。