甲州街道(4)

甲州街道歩きの4回目で、本来は高尾から歩き出すところであるが、小仏峠に登る道が、昨年の台風19号の被害で通行止めとなっているためこの区間を飛ばし、JR藤野駅からスタートした。
駅から国道20号線に出てすぐのところに旧街道に降りる道があるのだが、ここも通行できない状態となっていた。少し先のところで道が崩れているところが見受けられたので、このためであろう。


仕方がないので少し20号線を歩き、旧道に入れるところから入った。関野宿は明治以降の大火でほとんど面影はのこされていない。関野宿をでて少し歩くとほとんど何も手を入れていないと思われる道となる。


関野宿を過ぎ、相模川にそそぐ支流の境川を渡り、相模国から甲斐国に入る。
最初の上野原宿には古い建物かある程度残っており、その次の鶴川宿にも少しはのこっているが、あまり宿場町とのイメージを持ちにくい。


鶴川宿からしばらくは中央高速道路沿いの道となる。途中には武田信玄が築いたとされる長峰砦跡があったか゜、これは中央高速道路の建設とその後の拡張によってほぼ完全に破壊されてしまっている。
この先に野田尻宿があるが、野田尻宿を示す石碑が宿場の面影はほぼない。この宿場のすぐ横には、中央高速道路の談合坂サービスエリアがあるが、ここからはこの気配は感じられなかった。


次の犬目宿の手前で峠道となるが、ここに座頭転がしと示された所があった。先導していた人の声を頼りに歩いていた(座頭)が、道を踏み外して谷に落ちたと言われているところであるが、目が不自由であってもあまり気にせずに旅をしていたのか、生活のためには旅をせざるを得なかたのであろうか。


犬目宿から山道を歩いていると、途中に塚木はなくなっていたがほぼ原形をとどめている恋塚一里塚(南側のみ)が残っていた。(3日前に降った雪が残っている)


小さな集落を超え県道から少し外れたところには、短い区間ではあるが、石畳の道が残っていた。何も説明している表示はなかったが、復元したものではなく、元々のものが残っていたと思われる。ここを下るとすぐに下鳥沢宿に入る



この日はJR鳥沢駅から帰宅。29,500歩。(2020年1月21日)
2020年01月28日