甲州街道(1)
奥州街道を完歩したことで、五街道のうち残るは甲州街道のみとなった。
甲州街道をすぐにも歩き始めようと思ったが、台風15号と続く台風19号の影響で、中央線や中央高速道路が普通となるなどの被害が大きいようで、ある国も支障が出そうなので、しばらく様子を見ていたが、とりあえず少しずつ歩くこととし、再度日本橋からスタートした。
写真は日本橋のたもとにある日本国道路元標だけでなく、いろいろなものがは赤い唐草模様のような風呂敷で包まれていた。(どうも「FUROSHIKI
TOKYO展」の一環でのものらしい。2019年11月2日)
日本橋からは東京駅に向かうが、東京駅が街道の上に建てられたようで、東京駅日本橋口から丸の内北口に抜けなければならない。
ここから皇居の濠まで抜け、お堀端を半蔵門まで歩いた後は、国道20号線に沿って歩くこととなる。途中の四ツ谷駅では少し国道から離れ、北側の道に入るが、ここに四ツ谷見附跡が残っている。
新宿に近づくと国道は地下のトンネルに入るため、旧道に入るが旧道とは言っても都会の中の道であり、旧道のイメージは全くない。
新宿駅付近が、内藤新宿の宿場となるが、この少し手前に、甲州街道と青梅街道との追分があり、どうろの交差点近くにそれを示した道標がたっている。
新宿からは初め少し国際通りと呼ばれる通りで国道から外れたところを歩くがその後はほぼ国道20号線(甲州街道)沿いとなる。京王線の笹塚駅の近くでね笹塚の一里塚跡の表示があるが、もちろん一里塚の痕跡は全くない。
日本橋から3里目である笹塚の一里塚の次にある下高井戸の一里塚ではその説明が甲州街道ではなく、「甲州道中一里塚」とされている。
街道は海道との意味もあったため街道とは呼ばす、道中とされたようである。このため他の街道も正式には奥州道中、日光道中と呼んでいたらしい。
下高井戸宿、上高井戸宿を抜けるとようやく国道20号線から外れ、すこし古い感じの家も残っている。
この日は京王線の千歳烏山駅から帰宅。28,000歩。(2019年11月2日)