奥州街道(4)

奥州街道歩きの4回目で、芦野温泉からスタート。宿泊した芦野温泉は、芦野宿のすこし手前であったため、少し歩いて芦野宿についた。

芦野宿は古そうな家もいくらかは残っているし、宿場のほぼ中心には芦野宿と刻まれた石碑もあり、これまでの宿場よりは多少旧宿場町の雰囲気を感じさせる。


先の鍋掛宿や越堀宿にもあったが、この辺の家の屋根には、鬼瓦が立派なものが多く、鬼瓦に続くのし瓦も色が付けられたりしたデザインされたものが多く見られた。このようなものは他の場所では見なかったものである。


芦野宿の中心部に、すこし場違いな感じの石の美術館STONE PLAZAがあった。この付近から白河にかけて採掘された芦野石・白河石で造られた石蔵を再活用して美術館としたものとのことで、設計は隈研吾氏(国立競技場の設計者)という。しかし、あまり人の来ない(と思われる)ような所に、このようなものを作ったのだと感心する。


芦野宿のはずれには、高さ1.5mはあるような地蔵尊がある。芦野宿の手前やこの先にも、このような大きい地蔵がところどころに見えけられる。地蔵信仰が厚いだけでなく、加工のしやすい芦野石があったためであろうか。


鍋掛


芦野宿を出てすぐのところに遊行庵という野菜などの直売場があり、そこには軽く食べれるところがあったが、その後は次の白坂宿を越え、白河宿に近くなるまで売店や食堂、コンビニなと全く無い。前日の大田原付近から白河まで、この遊行庵だけが食べ物を確保できる所であり、歩く場合は要注意の所である。

つぎの白坂宿も多少の集落があるが、ほとんど寂れてしまっいいる。下の写真の右側にある案内板は本陣跡を説明したもので、この本陣跡には民家が建っていたが、左側の田んぼは脇本陣跡で、建物すら建っていない。

 

 

白坂宿を出て白河に近づくと、ようやく民家も多くなり、町に近づいた感じとなる。白河宿に入ると、はさすがに城下町だけあって古い家も数多く残り風情が感じられる。



珍しいところでは、脇本陣柳屋が修復されて残っており、奥に蔵造の座敷がある。ここに戊辰戦争の時に新選組が宿泊したとか、明治天皇も宿泊されたりしたとこことである。


白河宿を越え阿武隈川を渡った先に、奥州街道の最終地点である女石追分となるが、ここには追分の標識やなんらかの掲示板も何もない。
なにか拍子抜けしたような感じが残った。


これで奥州街道も完全踏破。36,000歩。(2019年9月19日)

2019年09月27日