奥州街道(3)
奥州街道歩きの3回目で、大田原宿からスタート。
大田原は源平合戦で有名な那須与一ゆかりの地のようで、那須与一像があったり、商店街のマスコットにもなったりしている。
大田原から道は県道となる。次の鍋掛宿までの間に中田原の一里塚と鍋掛の一里塚の二つの一里塚があるが、中田原の一里塚は南側の塚は壊されていて、残る南側の塚は半分切り取られた形で残されていたものが、道路拡張のため1.5mずらすように移築されたとのこと。さらに次の鍋掛の一里塚は道路改修のため両側とも破壊されたが、北側のものは道路の擁壁の上に復元した(下の写真で、擁壁の上に説明板と塚らしいものがある。)とのことで、あまり史跡をのこそうとする考えは無いように見える。
次の鍋掛宿と越堀宿は、那珂川を挟んで近い距離にある。これは那珂川の渡しの川留に対応したものと見受けられる。間にある那珂川て゜は、アユ釣りの人も見受けられる。
鍋掛宿と越堀宿ともに少し家が多い程度で、ほとんど宿場の雰囲気は残されていない。越堀宿からも県道を歩くこととなる。腰越宿を出てしばらく歩くと、寺子の一里塚がある。これも道路改修に伴い取り壊された塚を、寺子一里塚公園内に復元されたもの。
続いて那珂川水系の余笹川を渡るが、何度も洪水の被害にあっているようで、いろいろな所に最大水位(最近のものでは平成10年のもの)が印されている。その水位からみると、付近の家はほとんどが床上浸水となっていたようである。
余笹川を渡るとすぐ近くに馬頭観音があるが、この石の横に、弁慶が踏み抜いたとされる草履跡とされる凹みがある(写真の石の右側)。まさか石を踏んだだけでこのような凹みができるとは思えないが、義経や弁慶への信仰的な思いが伝わってくる。
芦野宿に近くなったところに夫婦石の一里塚が、両塚ともそのままの形で残っていた。これまでほとんどの一里塚が破壊されたり、移設されていたので、うれしく感じる。
この日は芦野温泉まで。31,800歩。(2019年9月18日)