奥州街道(1)

前回日光街道を制覇したので、次は奥州街道を歩くこととし、日光街道と別れる宇都宮宿伝馬町の追分からスタートした。

これまでも旧街道の追分はいくつも通ったが、全てのところには立派な道標があったが、ここには新しく作られたものしかない。道幅を広げた(片側3車線)としたために撤去されてしまったのであろうか。残念である。


伝馬町からは一旦宇都宮駅の方に戻るが、途中商店街などを通った後、宇都宮宿を通り抜ける。
少し歩くと立派な長屋門が見受けられた。宇都宮の手前でも多く見かけたが、このあたりには裕福な農家が多いのか、長屋門は無くても、立派な母屋をもつ農家が多い。昔ならった歴史では重い年貢で農民は虐げられていたように習ったが、どうもこれは違っているようで、最近読んだ本に、年貢はあくまで米に対してのみであリ、他の作物にはすべて農家のものであると書かれていた。どうもこの方が正しいように感じる。

 


白沢宿には江戸時代の公衆便所なるものが残されていた。これまで東海道、中山道、日光街道と歩いてきたが、このようなものに初めて出会った。建物の壁にはトタンが張られていたが、これは新しく張られたもので、裏に回り込めば昔のままの遺構が見て取れ、肥桶も残されている。
昔はおおらかであったため、トイレに行きたくなった時などは近くの藪の中に行って用を足していたのかとも思っていたが、これで納得できた。江戸の町には近くの農家が糞尿を肥料として買いに来ていたとされているが、街道の横に設置しておけば労せずして肥料を集めることができるため、街道に沿った農地の横には結構設置されていたのではないだろうか。


 

白沢宿は鬼怒川のすぐ横にあるためか水が豊富のようで、道の両側の用水路には豊富な水が流れており、おそらく観光用であろう水車が多く設置されていた。また、宿場の外れ付近にはきれいな水が必要とされる大きなクレソン畑も見受けられた。

 

 

白沢宿を抜けると鬼怒川の土手を歩くが、土手から少し降りたところに鬼怒川の渡し後の標識があるが、周囲は雑草に覆われている。

 

鬼怒川を渡りいよいよ氏家宿に入るが、宿場入り口にあった道標と馬頭観音。

 

この日はJR東北本線の氏家駅より帰宅。29,000歩。(2019年8月27日)

2019年09月01日