日光街道(1)

旧東海道、中山道と踏破してきたが、この次として日光街道を歩くこととした。
街道の起点である日本橋で、ここから歩き出すのはこれで3回目となる。

街道の起点の日本橋

 

JRの浅草橋駅横を通りしばらく歩くと雷門の正面につくが、門の周辺は観光客でごった返している。この日は日曜日だったためかもしれないが、外国の人が多いようで、曜日に関係なくいつも多いのかもしれない。

浅草雷門

 

南千住で線路を超えたところに小塚原刑場跡があり、ここにある大きな地蔵は首切り地蔵と呼ばれている。この刑場で処刑された人の腑分け(解剖)が、解体新書の翻訳に結びついたようである。
東海道でも江戸の入り口にあたる大森海岸付近に鈴ヶ森刑場があったが、刑場は江戸の外に設けたようである。
ちなみに、小塚原刑場の前の道は「コツ通り」と呼ばれているようである。

 

小塚原刑場跡の首切り地蔵

 

南千住駅からすこしのところで、隅田川にかかる千住大橋をわたるが、ここが松尾芭蕉が奥の細道へと旅立った場所とも言われるが、芭蕉の深川にある住まいから船で千住まで来て、ここで初めての句を詠んだことから奥の細道の起点とみなされているようである

奥の細道矢立初めの地碑

 

今回歩いた距離は短く、北千住駅から帰宅した。14,800歩。(2019年2月3日)

2019年02月06日